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中国作家

王一亭王雪濤黄公望黄賓虹
黄冑啓功呉冠中呉作人
謝稚柳陳逸飛溥儒王鐸
郭沫若胡鉄梅呉昌碩康有為
徐悲鴻斉白石石濤孫文
張瑞図董基昌八大山人于右任
范曾

王一亭

王一亭/白龍山人 (Wáng Yìtíng)プロフィール
清・同治6(1867)~中華民国・民国27(1938)

中国近代の実業家、書画家。名は震、号は白龍山人。 若くして商売に成功し、その豊富な財力で辛亥革命の際には資金援助をしたとも伝えられている。実業家として活躍する一方で、書画熱が高じて任伯年から画を学ぶようになり、書画家としても活動するようになる。同時代に活動した呉昌碩とは師友関係。昌碩画の模写に長けていたために昌碩が注文に応じられない時は代作した、という逸話も残されている。 人物・花鳥・山水画を得意とし、特に晩年は仏画を好んだ。古い因習に捕らわれない画風で、意欲的な表現の作品を数多く描き、画を売って得た所得は殆ど慈善事業に寄付した。 また、商取引を通じて日本に友人が多かったことから、その画は日本にも多く残っている。

王雪濤

王雪濤(おうせっとう)プロフィール
1903-1982 河北省成安出身

号は傲霜居士と称した。伝
統的画法に自然観察による写生を加味し、花卉、禽鳥、草虫から山水にいたるまで、秀麗潚洒な気韻を表現する当代を代表する大家の一人である。
中国美術家協会会員、北京画院院長などをつとめた。

黄公望

黄公望 (こうこうぼう・Huang Gong-Wang)プロフィール
南宋・咸淳5(1269)~元・至正14(1354)

元代初期の書画家。字は子久。号は大癡、一峰など。江蘇省常熟の人。両親が早世したため、養子に出された。学才に恵まれたが、当時科挙が不定期にしか実施されなかったことや、また旧南宋地域の出身であったことなど不幸な時代背景が重なって長らく官に就けなかった。40歳を過ぎて初めて蘇州の属吏となるも、程なく無関係の徴税不正事件に巻き込まれて失職する。官界での前途を断たれた黄公望は、その後占い師、戯曲家、道士など職業遍歴を重ねるが、この間に趙孟頫の知己を得て絵画を志すようになり、50歳を過ぎて本格的に画業を始めた。更に董源、巨然を学んで山水画を描き、筆勢の強い画と水墨画風の画を描き分けた。元末四大家の1人。

黄賓虹

黄賓虹 (こうひんこう・Huang Binhong)プロフィール
清・同治3(1865)~中華人民共和国・1955

近代中国の画家。名は質、字を樸存・樸人、号に予向・虹廬・虹叟。浙江省金華の人。幼時から勉学の傍ら、絵画・篆刻を学び、6歳の時には山水画を模写して父や師を驚かせたという。22歳になると楊州の両准塩運司署の役人となったが、彼の画才を認めた上司が好きなよう勉強させたので、この時期に多くの古画を見た。しかし1年余りで役人をやめ、その後は上海、北京、杭州などの美術学校で教員を務めたのち、やがて出版社で編集に携わり数多くの美術書刊行に尽力する。この編集職を退いた後は、芸術専門学校の教授職に就き、新中国建設後には中国美術家協会理事など数々の要職に就いた。山水画で広く知られる画家だが、その画風は宋・元の画法を取り入れながら、李流芳・程邃・程正に大きく影響を受 け、既存の山水画を近代的な風景画に昇化させたと称讃されている。また詩に巧みで、書法に通じ、金石文に精通し篆刻を良くしたと伝えられている。

黄冑

黄冑 (Huang Zhou)プロフィール
中華民国14(1925)~中華人民共和国・1997

近代中国の画家。河北省蠡県の人。12歳の時から独学で画を学び、14歳で正式に師について学び始める。日中戦争中は家族と共に陝西省へ疎開して、後に西安に移り、当地で呉昌碩の門人趙雲壑に認められ入門することとなる。後、人民解放軍に加わり、蘭州や新疆の軍区で少数民族の写生に取り組んだ。新中国建設後は各種展覧会に作品を出品して数々の賞を獲得。中国画研究院副院長や中国政協書画室副主任を歴任する。辺境の地域を舞台にした豪放な画で知られる。驢馬や駱駝などのモチーフを特に得意とする。

啓功

啓功(けいこう)
1912-2005 北京出身

中国書法家協会主席を経て、中国書法家協会名誉主席、国務院文物鑑定委員会副主任委員、北京師範大学中文科教授、
博士課程指導教師。著に『啓功叢稿』『書法概論』等がある。

呉冠中

呉冠中(ごかんちゅう) 
1919-2010 江蘇省宜興出身

浙江省立高級工業職業学校に進んだが画家を志して1936年、杭州芸専附属中学に転じ、李超士・方幹民に油画を学んだ。
1940年、戦時下で油画材料の入手が困難となったため国画系に転入し、藩天寿に学ぶかたわら古画の模写に励んだ。
1946年、教育省派遣留学生として渡仏、パリ国立高等美術学校に入学、スフォルピに学んだ。
1950年帰国、中央美術学院講師となり、さらに清華大学・北京芸術師範学院でも教えた。中央工芸美術学院教授。情感豊かな抽象的作風で知られる。

呉作人

呉作人(ごさくじん)
1908-1997 江蘇省蘇州出身

徐悲鴻の創設した南国芸術学院に学ぶ。
1930年、フランスに留学、パリ美術学校シーモン教室に入学したが、
すぐにベルギーのブリュッセル王立アカデミーのパステン研究室に移り、油絵・彫刻を学んだ。
1935年帰国、中央大学芸術系講師となる。
1946年、徐悲鴻に招かれて国立北平芸術専科学校油画系教授となり、
1949年、中央美術学院の成立とともに油画系主任教授、1958年、同学院院長に就いた。
油画・中国画ともに優れる。
 

謝稚柳

謝稚柳(しゃちりゅう)
1910-1997 江蘇省常州出身

室名は魚飲溪堂、社齋、煙江楼、苦篂齋と称した。
幼少から画を習い、長じて陳老蓮の画風に従う。後にその源に遡り、李成、范寛などに倣う。
 

陳逸飛

陳逸飛(ちんいっぴ)
1946-2005 浙江省鎮海出身

マキシモフの油画訓練班に学んだ兪雲階からデッサンをきびしく鍛えられた。
1968年「上海油画彫塑創作室」が成立すると、最初の専業画家となり、1970年、24歳で油画室責任者となった。
1980年、香港を経て自費で渡米、1981年、奨学金を得てニューヨーク・ハンターカレッジに入学、1984年、修士修了、以来米国に在住。
社会主義革命をたたえる作品から出発し、きびしい写実手法による中国・西欧の人物画、印象的手法をまじえた中国の風景・少数民族を主題にした作品が多い。
現代中国でもっとも成功した画家である。

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